仕事で出かけたついでに、駐車場へ車を置いたまま
図書館の辺りを少し歩くことにした。
正月の帰省客でにぎわっていた美観地区も、
4日ともなれば、人出も一服。
うちは、ここから比較的近いので
いつも込み合う時期は、あえて近づかないようにしている。
「中央駐車場は今年も大行列だったよ」
一昨日、通り抜けて帰宅した主人が教えてくれた。
でも、今日は大丈夫。
図書館も美術館も博物館も、ぜーんぶお休みだもの。
歩いていたら、蕎麦屋に暖簾がかかっていた。
「石泉」。
わ、珍しい、お正月なのに開いてる。
がらがらと引き戸を開けて中に入る。
客は私ひとり。
蕎麦好きの私は、時々こうしてお蕎麦を食べにいく。
別に決まった店があるほどの通でもないが、
ちゃんとした職人が打った蕎麦は、
いつ食べてもおいしい。
注文するのは、決まって「ざる」だ。
冬でも「ざる」。
年末年始用メニューというのがあったので、
そこから「蕎麦の若菜のお浸し」というのを注文した。
奥さんが来て
あいにく、お浸しはできないのだけど、
代わりにサラダはどうかという。
あ、それでいいです。
待つこと、しばし。
出てきたのが、これだ。
蕎麦の若菜って、なんだかクローバーみたい。
茎が赤くって彩りもきれい。
クリームチーズとトマト。
クルミを荒く砕いたのが載っている。
香ばしい。
蕎麦をつつぅっと啜りながら
サラダをむしゃむしゃ食べる。
ちょっとウサギになった気分がする。
ここのところ、蕎麦を食べていなかったので
しみじみ「おいしー」と思った。
蕎麦湯で割ったそばつゆを飲み干して、完食。
欲をいえば、
蕎麦湯は、もっとアツアツのを出してほしかったです。ハイ。
あとはコーヒーでしょ。
やっぱり。
20数年ぶりに「サロニカ」へ行く。
昔、大好きで、よく通ったお店だ。
あのころ大切な友人と、いろんなことを本当によくしゃべった。
とりとめのない出来事を面白おかしく話したり、
時には悩みを聞いてもらったりした思い出の場所。
うちの近所で洒落たコーヒー屋は
ここと「珈琲館」しかなかったもの。
まだ、マスターが健在で、ケーキやパンなどの軽食もあった
30年ほど前の話だ。
帰省した息子夫婦が2日に行って
ママさんと話したと教えてくれたので、
急に懐かしくなって、行こうと思い立った。
きょうの外出の一番の目的は、ここへ行くこと。
入口に立って、店のたたずまいを眺めていたら、
変わらない光景に胸を衝かれる。
どうして、こんなに長く行かなかったんだろう。
すぐ近くに、ずっとあったのに・・
まるで、すっぽりとタイムポケットに入ったまま
時が過ぎてしまった。
詫びるような思いでドアを押した。
老婦人になったママさんが、気さくに話しかけてくれて
すごい久しぶりに来たことを告げる。
クラシックな木の内装とステンドグラスの照明。
何も変わっていない。
使い込まれた床は、椅子がすれる部分だけがはげて
歳月の重みを感じさせる。
この場所が、時代の雰囲気を色濃く残したまま
残っていてくれたことに涙ぐみそうになる。
蓄音機でラヴェルの「ボレロ」を、とママさんが
レコードを探してくれていると、
常連とおぼしきお客様が次々に入ってきたので
結局、無音の空間でコーヒーを飲み終えた。
ママさんが恥ずかしそうに添えてくれた
「メルティキッス」チョコも、ありがたくいただいた。
テーブルの上には
コーヒーシュガーの入ったくすんだ銀色のポットがあって、
取っ手はBee(ミツバチ)になっていた。
最近Beeのものが気になるので、
こんなところで遭遇できてうれしい。
灰皿はアラバスター(大理石)だ。
おいとまの挨拶をすると、
「息子さんにもよろしくおっしゃってね」
と言われた。
はい、伝えます。
外に出て見上げると
昔と同じ素敵な看板があった。
「まるでヨーロッパのような」
という、陳腐な例えを使いたくない
美しいオリジナルのサイン。
ここは、まぎれもない倉敷であることを
誇りに思った。